.家族というのは、生まれてからずっと家族で、死ぬまで家族なんだろうけど
家族になるのは最初からじゃなくて、でも最後まで家族にはなれないかもしれない。
私が今所属している家族も、まだまだ、まだまだ家族ではないかもしれない。
もしかしたらずっと、家族にはなれないかもしれない。
でも、どこかのタイミングで、家族になれるかもしれない。
何か作品に没頭したくて
友人がすすめてくれた「長いお別れ」を観た。
認知症は、寂しくて不安で悲しくて怒りで、言葉にできないいろんな感情があるかもしれない。
認知症になった人とともに生活する家族も疲弊する。
なのに、なのにそこには「愛」がある。
どうしてわからない!?さっきも言ったのに!!と怒って溜息をつく家族しか知らない私には
とてもライトでゆるやかで、おだやかだった。
ああ、でも私も知ってる。
母方の祖父の時はおだやかだった。
もう私のこともわからなかったかもしれないけれど、
食事介助したときに私の顔をみながら「うまい」と言ってくれたこと
私はその時感極まって泣いてしまったけれど、これは一生忘れないかもしれない。と思った。
なかなか難しい人だったそうだけれど、わたしにはいつもニコニコで、おばあちゃんが大好きなおじいちゃんしか知らないから
笑顔が消えて、動くのもゆっくりになっていくのが受け入れられなかった。
思春期に大荒れしてしまった私は合わす顔がなかったけれど、
実家を出る春におばあちゃんちの遊びに行って、その時のおやつの食事介助をした時だった。
母さんも、もっと大泣きすると思った。
少しずつお別れをすることができたからと言っていた。
少しずつ、少しずつ、今のことは忘れてしまうけれど
少しずつ昔に戻っていって、人生を振り返っていくのだろうか。
時の流れがゆっくりになって、少しずつゆるやかになって
その時間も、愛なんだろうか。
おじいちゃん、あなたの願いを私はかなえることはできないけれど
私はあなたに出会えてよかったとおもっているよ。
りんご畑でおばあちゃんと作業しているおじいちゃんが好きだった
ちょっとわがままいっておばあちゃんが怒ると「すぐ怒るんだよ」と嬉しそうに言うおじいちゃんが好きだった。
まだ思い出せるよ、笑顔も、声も。
これからも、両家見守ってください。
なんて、祖父への思いを馳せながら見ていたら映画が終わっていた。