陽が出れば花が咲く

種を蒔き雨が降れば育つ

愛は過去にも先にも静かに続いていくものかもしれません

 

 

.3回忌ということで実家に帰省してました。

過去記事にも書きましたが、私は自分の世界も狭く、感受性も強い所為もあって

実家に帰ると強制的に10代の多感な時期の自分と重なってしまうので帰ることにあまり前向きな気持になれませんでした。が。

 

モヤモヤとしながらも、おばあちゃんのことを考えてて

お葬式の記事にも書きましたが、おばあちゃんの友人からは「家族を愛していたんだよ」と伝えられ

その時は全然ピンときていませんでした。

傲慢なところもありましたし、自分をいたわってくれ!!と主張がすごい人でしたし、

すぐあそこの家は〜、とか他人と比べているようなイメージで

「昔の人」というイメージが強かったんです。

 

でも不思議と、思い出すのはいつも笑顔で。

おかえり〜と言ってくれる姿で。

なんて色々考えていたら幼少期の思い出もどんどん思い出してきて

 

風邪を引いたときはよくゼリーを買ってきてくれたり、当時大好きだったCCさくらの漫画を買ってきてくれたな。とか、

おんぶできなくなるまでおんぶしてくれたな。とか、

外で友人に会うたび嬉しそうに「孫です〜」と紹介してくれていたな。とか、

手の骨折にすぐ気づいてくれたのもおばあちゃんで。

ピアノの発表会や、授業参観や、運動会も来てくれていたな。

夏休みのお昼ごはんはだいたい丸なすの味噌ダレかけたのか、凍み豆腐の卵とじで

毎日用意してくれてたな。

おじいちゃんには好物のかぼちゃコロッケを買ってきてたり、汁物も用意してくれたり

腰が曲がってるから料理も大変そうに腰を伸ばしながらやって

小さいのに、存在感が大きすぎるおばあちゃんだったな。

小学生の時に、駐車場の草むしりをしたらものすごく喜んで

次の年もその次の年も「あれは嬉しかったなあ〜ほんと嬉しかったよ〜」と言ってくれていたな。

嬉しいと言いつつ、今年もやるよな?を感じたからあれからやりませんでしたが。

 

私が家を出てからはよく手紙を送ってくれて、野菜も送ってくれて

帰省すると喜んでくれて

思い返すと、たしかに愛されていたな。

静かに、大きな愛だったな。

近くてわからなかったな。

何度ありがとうって言えたんだろう。

 

家族はとてもむずかしい。

近いようで遠い。

お互いのことなんて、今しか知らない。

どんな生活を送ってきたかなんて、自分が生まれてからしか知らない。

祖母が家族を愛していたことも。

知らなかった。

 

思い返した次の日、仕事で顧客名見てたときに祖母と同じ名前を見つけた。

珍しい感じの合わせだからすぐ目についた。ハッとした。

 

よく枕に立つときくけれど、

2年後しで目の前に現れてくれた。

 

ばあちゃん、今までほんとにありがとう。

もっと一緒にいたかったよ。

もっと生きててほしかった。

無理しなくていいから、無理して野菜も作らなくていいから

ただ、生きててほしかった。

呼吸もしづらくなって、溺れるように死んでしまった。

極楽では会いたかった人に会えてるだろうか。

今年の夏、祖父の弟も亡くなったけど、会えただろうか。

またどこかで、会えるだろうか。

私もばあちゃんみたいに強く生きていけるだろうか。

じいちゃんはまだ連れて行かないでくれな。

家族は一人でも欠けると途端に家が静になる。

 

家族のことを親戚たちから聞いたり、家族の思い出を見たり

法事もなかなか悪くないものだと、今回の帰省で感じた。