つい1時間ほど前、久しぶりに地元の友達からLINE。
モバスペが9月末に終わるとのことで一緒にやってたホームページを見にいくことに。
その子とは中学生の時から友達で、隣町の子だったけど仲良しだった。たしか。
懐かしい友達とのプリクラ、何気ないコメント。
自分の日記は無かったけれど、走馬灯のように思い出してドロっとしたものが上がってくるようなこの感覚。全てが懐かしい。
話は逸れるが先月兄と飲みに行った際にお互いの幼少期の話になり、その時私は「相手の中に自分がいないと不安になる」と告げた。相手そのものを見ているようでみておらず、相手の中の鏡に自分がきちんと写っているか重視していた。そうでないと私の言葉が思いが反復して私に帰ってこないと思っていたからだ。でもそれに気づいたのは随分大人になってからだった。
16歳の私はわからなかった。
学校に行って友達に会ってもいつもなにか満たされず。笑いあってバカなことしててもどこか不安要素が残り、ちりつもで無理になってしまった。
傍から見たら何が辛いかわからない状況だったと思う。
いじめられていたわけでも、暗黙ルールで省かれていたわけでもない。
それでも私は日々必死だった。
違う高校に行った友達に会うもそっちも新しい環境があるし
私のこの分からない感情を理解してくれる人が誰も周りにいなかったし言おうともその時は思えなかった。
夏までは頑張って毎日学校に行っていたけれど、夏休み明けと同時にあまり行かなくなり、行っても途中早退の繰り返し。
痺れを切らした母が高校まで送ってくれたこともあった。当時母の職場環境も悪くそんな中娘も酷い状況でかなり苦労をかけた。来週帰省する時に謝ろう。母のことだから気づけなかったわたしが悪かったのごめんねって言うんだろうけど。そしたらやっぱり話すのはやめよう。
なんでもかんでも言葉にするのがいいわけではないので本人が喜ぶであろう態度をとっていこう。
話がまた逸れたので戻そう。
そう、高校生の頃の私は周りの友達の中に私自身の存在を感じることができなかったことがものすごくストレスで苦痛だったのだ。
相手の中にどのくらい自分が存在してるかなんて大人になってもわかりゃしないが、それでも破片でもいいから手探りで探していた。
そして相まってよくなかったのは環境だった。
標高の高いところにある高校は近くに何も無い。莫大な敷地だけ広すぎるのだ。
笑いあっていても背景にいつも色がない。色がないというのは白黒というわけではない。
はっきりとした色がなく、全てボヤボヤとしたベージュやくすんだような色ばかりだったのだ。
高校を辞めるもなんとかここまで走ってきたが、
やっとここで理解することができた。
地元に規制する度少しずつ理解しているつもりに浸っていたが、核は変わらなかったのでこれがほんとにゴールだ。
10年は決して短くはないけれど、必要な10年だだった。
あの頃に比べたらものすごく満足のいく人生だ。自分で選択できること、選択肢をみつけられること、相手の中に自分を見つけられなかったらそれは切り捨ててもいいということ、
……ゴールなのか?
本当にこれがゴールか?
もしかしたらまた更に10年後、または子供が生まれて子供がその年になったとき、ひょんなことから地元でまた暮らすとなったとき、
ターニングポイントはきっとまだあるかもしれない。
そう思うと、あのものすごくどす黒い虚無な時代が人生の中では必要な時間だった。
流行りがループしていると同じく
人生もまたループしているように思える。
幼少期、ジャイアンのようにこの世の万物の頂点は自分だと思い込んでいた自分が今チラつく。
そう、わたしはいま、相手の中に自分がいるかいないかなんてそんなこたぁ重要じゃねんだわ!ひれ伏せ!わたしがジャイアンだ!な思考なのだ。
恐ろしい。
このままいくと、子育て中がまた同じ虚無ループだと予想できる。
まぁ、悪くはないか。
それが終わったらまたジャイアンのターンが来る。
その度また答え合わせをしていこうと思う。