目当ての餃子屋さんが臨時休業だったので悔しさのあまり割引中の串カツ屋を探すもまさかの予約で満席と…、、、
行きたいお店に悉く振られ(しかも僻地)
お腹も減ってナーバスになっていたところ
やはり餃子は人気フードなのでどこにでもお店はあるもんですね、他の餃子屋さんで手を打ちました。
悔しさも相まってとてもおいしかった。
店員さんが恥ずかしがり屋なのか全然目を合わせてくれなくて、お手洗いの場所を聞いた時は怯えた素振りも見せていて
私はそんなに威圧を放っていたのか?と思って観察してたら他のお客さんにもそうだった。
デフォなのか、、そんな怯えなくても叩いたり大声出したりしないよ、、怖くないよ、、、
でも居酒屋の店員さん含め飲食店の店員さんは客を選べないし客ファーストで大変だろうなぁ。飲食は通らなかったから想像でしかないけど、だって怒鳴ってきたりしても結局お酒のせいで〜ってケラケラ笑いながら謝られるんでしょう?一升瓶で叩くくらいは許して欲しいと私だったら思ってしまうかな。
私の心の中には過激派組織がいる。
今日会った友人とは中学生の頃から仲良くて
一度も同じ学校になったこともないし同じ市に住んだこともなかったけれどもう人生の半分以上は友達をやってる。
ことあるごとに会ってすごいスピードで話していた20代前半
今ではもう「学生の頃とかって何話したかわかんないね」から始まり、
「今も友達に会っても何話したらいいかわかんなくてとりあえず近況とか会社の話になっちゃう」
「当たり障りない話から、結婚とか考える?とか実家の話とか、妙にリアルな話ばっかりになるよね」なんて
あの頃の私たちは彼氏がどーのこーの
会社の先輩があーだこーだ
下からの若い意見ばかりだったのに中堅にもなってくるとそればっかり言ってられなくなり
そう、ほんとに何話したらいいんだろうにいきつく。
私も毎日決まった人と殆ど決まった会話ばかりしているせいで
どんなに若いとき仲良かった友達だとしても久しぶりに会うとドギマギしてしまうし緊張する。
それは私だけだと思っていたけど友人もそうだったからもしかしたらみんなそうなのかも。 みんなは語弊があるか。さすがにね。
結婚とか、実家とか(地方民なので)この先のこととか、妙にリアルで甘くないことが多いけど
それなりにかわしたり、見ないふりしたり、そういうことができるようになっていくんだろうね。
真っ向勝負!な若い時代はもう終わったのかも、という思考はあまりにも受け身なのかな。
ずっと若くいたいわけではないけど、若い時の自分と、少しずつ落ち着いていく自分の境界がくっきりしていくとなんだか切ない気持ちなる。
こんなところでもまた、大人になったんだなぁなんて思う。
大人になっても私たちには未来があって、夢を描いたり語ったりしてもいいのにね。
なんだか難しいことも考えなくなった。
悩みも減った。深く考えなくなった。色々経て考えたって仕方ないと思うこともあれば考えを放棄することも身についた。
なんだかね、
大人になってしまったんだね、わたしたち。
この先もずっと大人。
嬉しくてちょっと切ない。どちらも兼ね備えてる大人に今後もなっていく。