年を重ねて、毎年友達と過ごせているのはとても幸せなことだなあとふと思う
ようやく落ち着けたから。
走り続けてきた人生も早四半世紀。
不器用な私は度々大荷物で全力疾走し、転げ落ちて全て投げ出しては、曲がり角で何か見つけてそこでまた必死になり荷物を増やしていくような半生でした。
まっすぐ走ればいいものを、
誰の言葉も聞き入れず、すべて突っぱねて走りぬいて、でも、ふと気づくと
そこは手に入れたかった景色とは真反対の地獄で
幼いときから自分に言い聞かせてきたけれど
年を重ねるたび、言葉にして伝えればなにか変わっていたのかもと
伝えようとしていれば聞き入れてもらえたのかもと
後悔することも増え
なんというか
どこで人生間違ったかって
思い出してはキリがないのに
思い当たるものを思い返す度
どこか愛おしく
どこかどうしようもなく
そして必ず最後は許してしまう。
私はずっとさみしかったんだろうね
お母さんともっと一緒にいたかった。
でも、働いて、帰ってご飯の支度をして、洗い物も6人分全部やって
お風呂は最後に入って、次の日一番早起きしてご飯の支度をする母に
さみしいなんて言えるわけもなく。
友達が、
放課後遊ぼうと言うたび「お母さんに聞いてみる」というのを
心のどこかで羨ましがっていたんだと思い返して気づいた。
気づかなかった当時はわざわざ聞かなきゃなんて面倒な家だななんて思っていた。
本当に遊びたかったのは友達ではなく、母だった
いろんな話をしたかったのも、友達ではなく母だった。
母の悪口をいう祖母が大嫌いだった。
小さいころは可愛かったのにって言う祖父も大嫌いだった。
すぐ怒鳴って追いかけ回してくる父が嫌いだった。
草むしりをすると家族みんなに言って褒めてくれる祖母が好きだった。
家の外で会うと孫だと気づかない祖父が面白くて好きだった。
夜一緒にドラマをみたり、朝はチーズオムレツをつくってくれたり、毎朝必ず保育園に送ってくれて、行事ごとはほぼ全部出席してくれた父が好きだった。
私はもっと素直に
「好き」とか、「寂しい」とか、「もっと一緒にいたい」とか
「ありがとう」も「ごめんなさい」も「もっと私の話を聞いて」も
言えたらよかった。
そしたらきっと
いろんなことを間違えずに済んだよ。
いまだに私は家族に大好きといったことがないし
きっと結婚式とかで手紙を読むとしてもかけないだろうし
後悔して後悔して人のせいにして悔やんで真っ黒い気持ちになって
また涙を流してどうにか自分を肯定できるものを探そうとしたとしても
また大荷物を持って全力疾走する私に戻るんだ
嫌なことばかりの人生ではなかった
でもとてもいい人生でもなかった
小さいとき早く大人になりたかったのは
きっと、寂しいと思わなくなると思っていたから
どう足掻いても今の方が
自分の感情に気づく今の方がさみしい
10代より、20歳より、去年より、今の方が
色んなじぶんを許せるようになった。
少しずつ忘れてきた。
実現しているのか定かではないので
16からの9年分の私は
もしかしたら16歳の私の妄想なのかもしれないと思うと
それはそれでなんだか面白い
16歳、睡眠薬を大量に飲んで自殺しようとしたあの時見た夢が今も続いていて
本当の私は病院のベッドで植物状態だったら
とんでもねぇ親不孝もので
金喰い虫だなあ。