うさだすたいる

穏やかに生きるために

酸素と海とガソリンと

たくさんの気遣いを浪費している皆様、こんばんは。ウサダです。

東京事変の「私生活」の歌詞で好きなところですね。

たくさんのものを浪費しながら生活をしていくわけだけど、向かい風まで吸い込めたらやっと新しくなれる。

 

 

 

 

 

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最近、仕事で研修期間が終わったので全て一人で対応するようになりました。

 

前の仕事とは違って手続き内容がかなり多いのとミスが許されない仕事内容にはなりますが、またまた周りに恵まれたおかげで、会社の先輩たちは皆いい人ばかりです。

丁寧に教えてくれる先輩、冗談を交えながらわかりやすい例を出して教えてくれる先輩、淡々と正解例を教えてくれる先輩、質問の先を読んで対応面も教えてくれる先輩

色々いますが、みんな本当に優しい。そして年が近いのがとても嬉しい。

 

未だに前職に戻りたいと思わない、そういえば今まで一度も前の仕事に戻りたいと思ったことがないんだな。保育園で働いた後も戻りたいと思わなかったし…

限界だ!殺してくれー!ってなって辞めるからなのかな…

まぁ別にそんなことはどうでもよくて。

本題に移りましょう。前置きが長すぎました。

 

 

 

 

 

 

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最近よく年齢を気にするようになりました。

 

前まではまだ若いし〜まだやり直しがきくし〜世間的にもまだ甘やかされていい年だし〜まだチヤホヤされると期待していい年だし〜と

 

思っていましたが、

もうそんなことを言っていられない年になります。

感じ方、考え方は人それぞれですが、

25歳というのはやはり、その、なんというか、曲がり角といえば曲がり角で、

Uターンするも、前進するも、全て周りの意見を取っ払って自分で決めれる最後の年だと思うのです。

キリのいい数字だからというのもありますが、社会的にも「若い」から少し外れるわけで、

大学卒業した人も社会人三年目ということで、新人枠からも外れます。私は大学出てないのでもっぱら新人枠にはいないのですが。

 

浪費していく日々だけではいけないのです。

私は小さな時から早く大人になりたくてなりたくてなりたくてしょうがなかった。ずっと背伸びをして生きてきましたが、

やっと年齢も「大人」になり、考え方はそうすぐには変わりませんが、相手の意見や世間的なものもちゃんと飲み込めるようになったのです。

幼い時に思った「大人」に

片足突っ込みはじめてしまったわけです。

 

「自分のことを自分で責任を持つ」

言葉だけ見れば簡単なようで、複雑なこの言葉を

どうやって紐解いて、繋いで、離して、結んで、何度も何度も壊しては連なっていくように重みを感じていけばいいのでしょうね。

 

思っていたよりも、大人は不便だと思いました。

そしてきっと、もっと不便になります。

そしてさらに、愛おしくなると思います。

 

 

とんがっていたあの頃の私に

どの判断も間違っていなかったと伝えてあげたいと思ったけど、よくよく思い出せば

きっと昔から確信していて、だから大きな決断をしたのだと思います。

 

 

なんだかんだで、いつも周りには大切な人がいて、腹立つことも減って、涙することは増えて

好きな音楽も、色も、服も、空気も

分かっていることが私を作っていくのだと思うと、

 

 

浪費する日々も悪くはないですね。

大人も悪くないです。

 

また。